アカシア姫のチョボラ日記


one for all, all for oneの気持ちでちょっとしたボランティアをしています。そんな日々を綴るブログです。
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内灘今昔物語―らっきょう

先週の内灘今昔物語41回は
ラッキョウカレーについてお伝えしました。
内灘の砂丘地で採れたらっきょうをカレーに入れ込んだカレーライスです。
昔は砂丘地でらっきょうを栽培していたそうですが、
だんだん少なくなりました。
そんならっきょうを今一度栽培し、ラッキョウカレーを考案し
町の特産物にしようと活動しているグループ「おいCまちうちなだ」があります。
らっきょうも内灘の道の駅「サンセットパーク内灘」で
「砂丘の真珠」という名前で販売しています。金箔入りもあります。
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内灘今昔物語ラッキョウカレー内容の
続きはこちらを






皆さんこんにちは内灘今昔物語41回です。新しい年の幕開けに今月は内灘町の特産品についてお伝えします。今日はラッキョウカレーについてです。
ラッキョウカレーはカレーの具にらっきょうが入っているカレーです。
内灘町の循環型まちづくりを目指すまちおこしグループ「おいCまち内灘」の西田恭子さんをはじめとする皆さんが考案したカレーで2011年から内灘道の駅のレストランでメニューの一つとして販売されています。ほくほくとした食感のらっきょうが入ったカレーはカレーライスに添えるラッキョウの甘酢漬けとはまた一味違った風味です。ラッキョウの甘酢漬も「砂丘の真珠」と名付けて販売しています、スタンド型のビニールパッケージと瓶詰めの2種類用意しています。(ビニールパッケージの容量は50g、100gです。)
らっきょうは内灘でいつごろから作られるようになったのでしょうか?内灘町史を読んでも、らっきょうについて詳しく書かれていません。昭和32年に砂丘地開発事業が終了後、七塚町でラッキョウ栽培で儲けたものがあると聞いてラッキョウ栽培を導入したものや、砂丘地林の林間で豚や鶏を飼う者もいたが充分な利益を上げるものは殆どなかったとという記述があるだけです。西田さんが1973年(昭和48)に内灘に越してきた当時は内灘砂丘にラッキョウ畑がいっぱいあって、紫色の花が秋に一斉に咲くと、まるで北海道のラベンダー畑のようだったとか。時代とともに耕作が放棄され、ラッキョウ畑はどんどん姿を消していきました。そこで、地域の農業活性化のためにラッキョウを再び町の特産品に育てられないかと構想を練り、2009年(平成21年)2月に知人らに声をかけ、「おいCまち内灘」を立ち上げ、かつて自家用や他県出荷用にラッキョウを作っていた畑を借りたり遊休地を開墾しなおしたりして、約1000平方メートルの畑地で栽培をスタートしました。ラッキョウの栽培は、出稼ぎで男手のない時代から、主として女性が担っていましたので、お年寄りや女性でもできると考えたそうです。「おいCまち内灘」の西田さんは2012年に内灘高校の料理同好会のメンバーらと一緒にカレーの具やトッピングとして調理し、ラッキョウ入り水餃子を考案。こうして内灘のらっきょう、ラッキョウカレーは多くの人たちの知るところとなりました。親子収穫体験もされています。昨年2015年の内灘町の子どもたちとの体験学習”夢教室”では,白帆台のラッキョウ畑で収穫を体験し、ラッキョウ入り夏野菜カレーを作りました。珍しそうに食べるこどたちやお代わりをするこどもたちもいました。今後もラッキョウを使った新しいレシピの開発も進め、内灘のラッキョウを地元の特産物として発信して、生産量の拡大にもつなげていけたらと思っているそうです。まちおこしグループが考案したラッキョウカレーが町の特産物として多くの人たちに知られるようになったなんて素敵なことです。
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by akashiahime | 2016-01-14 22:22 | 内灘今昔物語 | Comments(0)
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